井腰研究室
 社会学を専門とされる井腰先生の研究室を訪問しました。(2004年12月取材)


井腰圭介 助教授

文学修士

専門分野:文化社会学・社会変動論・社会学史

 上智大学大学院 社会学専攻 博士後期課程単位習得後、東京電機大学非常勤講師、西東京科学大学(現帝京科学大学)講師を経て、本学助教授となる。文学修士。


 専門は、人間の文化や行動を社会の仕組みとの関わりから研究する文科系の社会学です。私は、「人はなぜ戦争をするのか」を知りたくて社会学を専攻しました。一般に戦争は平和と対比されて破壊的な面が強調されますが、この破壊は個人的動機によってではなく、社会的な価値に基づく義務として行われる点は見落とされがちです。平和な日常生活とかけ離れて見えても、戦争はあくまで集団の規範に従って行動する人間によって行われる点では、人間活動の例外ではなく典型であり、「価値や意味」といった「文化や規範」に反応する人間の特徴が最も顕著に見られる現象だと私は考えています。こうした反応は、日常生活ではダイエットやお墓参りなどの行動として観察できます。たぶんダイエットする象や肉を供えるライオンはいないと思うので、こうした特殊な行動に「意味を求める動物としてのヒト」の面白さがあると思います。

 文科系の社会学も社会についての科学なので、科学的な根拠に基づくデータの収集と分析を行います。そのために、手紙や日記などの文字資料を利用したり、フィールドワークによる観察、インタビューやアンケート調査などでデータを集めます。ただ、人間が人間自身を研究するという点で、必ずしも白黒のはっきりした結論が出せない時があります。社会学は、社会を作りつつ生きている自分自身を冷静に知るための学問であり、同時に人間の責任について自覚を促す学問でもあるからです。対象について問うことが、研究している自分自身のあり方を自覚させ、新たな問題を提起する形で結論とされる面があります。この点から、実験によって明確な答えを導き出す理科系の学問に比べると判然としない感じがするかも知れません。しかし、「汝自身を知れ」とも表現できる反省的な問いの循環は、人間と動物の共存を考える際には大切なことだと思います。

 社会学は「社会化」という見方を重視します。人間は、相手とのやりとりを通して社会の一員になるための学習を行うという見方です。この学習を通して、私たちは様々な知識を身につけます。例えば、今読んでいる日本語は、私たちが生まれた後で周囲の人達とのやり取りで身につけたものです。今考えている時、私たちは日本語で考えているはずですが、「日本語で」考えているとは意識していません。しかし、同じことを「英語で」考えるのは容易ではないはずです。身についた日本語は、考える時に「透明になって」意識されなくなってしまうわけです。これが文化であり、常識と言う知識です。私たちの行動は、この種の知識に支えられています。例えば、銭湯で裸になるのは「自然」でも、プールサイドで裸になるのは「不自然」というように、この「自然」と「不自然」を決めているのが常識です。常識は私たちの行動に大きな影響を与えているはずなのですが、いつもは意識されていません。そこで、よりよい関係を作るためには、「当然だ」と思い込んでいることを自覚する必要があります。人間と動物の関わり方に影響を与えている「動物観」も、こうした知識のひとつだと言えます。

 動物観は、人間が動物をどう見ているかと言う人間の側の問題です。動物観も普段意識されていませんが、過去の見方と比較し、また他の文化と比較してみると色々な変化や違いがあることに気がつきます。例えば、伴侶動物と訳されることが多い、コンパニオンアニマルという言い方もこうした動物観の変化を示すものの一つです。かつては「番犬」のように人間の道具と見られていた動物が、苦楽を共にする家族の一員として扱われるようになり、その死によって精神的にも大きな悲哀を味わうような関係ができてきたということは、近年の大きな変化です。また、野生動物の保護運動の高まりなども、こうした動物に対する人間の意識の変化を抜きにしては考えられない現象だといえるでしょう。研究室では、こうした動物に対する人間の考え方や接し方の変化を研究しながら、どのような条件を意識することで人間と動物が共存できるようになるかを考えていきます。

 動物に対する見方や接し方の研究は、動物の一種である私たち人間に対する見方の再検討にも繋がっています。なぜなら、人間も動物であり、ともに自然の一部をなす生物だからです。ですから、動物観の問い直しは、私たちが科学技術文明の中で作り上げた暮らし方や人間に対する見方を、自然の側から問い直すきっかけになるでしょう。また、動物とのふれあいで心が癒されて生きる意欲が湧いたり、野生動物の生態に触れて生命の尊さを再認識すると言った文化的な活動にも、私たち人間が見失ってきた生命の力や豊かさを自覚し、動物である自分自身の生き方を再認識する重要な意義があると思います。科学技術に依存した人という動物に見られる問題を指摘する考え方に、「自己家畜化」という見方があります。人間は人間自身を文明という檻の中に囲い込んでペット化しているのではないかという問題提起です。今後は、こうした文明論的な問題も視野に入れて研究していきたいと思っています。

 研究室は今年から始まりました。志望してくれた3年生は、人と動物の望ましい関係や動物観に興味のある個性的で面白い人達です。例えば、野生動物はなぜ魅力的なのか、動物と飼い主のよりよい関係を作り上げるためにペットカウンセラーには何が必要なのか、動物と人がともに暮らせる快適な居住環境とはどんなものか、動物の正確な知識を普及させられるペットショップは可能か、ペットパークの来場者は何を求めているのか、補助犬への理解をどうしたら広げられるかと言った社会文化的なテーマで研究を進めています。

 私自身、まだアニマルサイエンス全体の地図を持っていません。そういう意味で、今は研究室のみんなの話を聞きながら触発されて、人と動物がどう関わっていけるかを一緒に明らかにする新しいフィールドワークをしている感じです。まだまだ未開拓の分野ですが、「志あらば、道あり」だと思っています。理科系と文科系と言う柵を越えたところにある、人と動物の関係に関心をもつ人たちの参加を期待しています。

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